アメリカ大陸半分横断 平成18年12月17日
田中静雄
今回の計画について
23才のとき(1969年) 医師 布村東三先生にアメリカ大陸横断を百六十数時間で走破の
話をお聞きしたのが始まりです。
自動車雑誌にも掲載された記事を読み、直接お話をお聞きしたときも、すごいなーと思いながら
も<お金と時間があれば自分でも出来る>と考えていました。
その 布村先生から 『東名、名神が全線開通してから走ってないので一緒に走りますか?』と
声をかけていただいたのが1970年大阪万博の年です。
14才で原付バイクの免許をとり、16才で軽四輪、18才で普通免許、20才の時には父親に
無理やり買ってもらった半年目のトヨタのコロナで完全にひっくり返る事故を起こして、シート
ベルトで逆さまにぶら下がって止まった経験を持つ(このとき脇に乗っていた不幸な友人は
田中 T 君で彼はベルトをしておりませんでしたが、肩と膝にあざを作っただけで済みました
私は無傷)車大好き人間に異論は全くありません、即決で同意を致しました。
決行日は昭和45年4月29日昭和天皇誕生日の前の晩、午後9時瀬田料金所を10分ずらして
出発、瀬田料金所から尼崎まで行ってUターン、瀬田料金所まで戻っての1080km
布村先生の甥の方が計測して下さいました。
結果 布村先生 8時間47分 使用車 プリンススカイラインGTB
私 9時間33分 使用車 トヨタ1600GT5 (RT−55)
費用は 高速、ガソリン(48円/1L)合計で13000円くらいだったと記憶しています
46分の差が付いて到着 このとき単純にお金と時間があればできる と考えていたことを深く反省
同時に 強烈に <自分もアメリカ大陸横断> をとコツコツお小遣いを貯め始めたのですが・・・
結婚を機に計画が遠のいてしまいました。
2002年8月29日 都立世田工業付属中学ミニOB会に島崎君からお声がかかって出席、
二十数年ぶりに再開した那須君より
『二十代の時一緒に話をした大陸横断を 十二年のアメリカ勤務をしてもまだ実行出来ていない』
この言葉から夢が 再燃しました。
それから4年が過ぎました、肉体的にも精神的にも元気さが残っているうちに多少の無理をしても
何とか実行に移したいと、今回の行動になったものです。
残念ながら一気にニューヨークからロサンゼルスまで走るには時間も許されず、まず半分で我慢と
いうことになりアメリカのおへその辺りに位置するオクラホマシティから出発、ロサンゼルスまで
を走ってきました。
走ったルートの地図をご覧ください
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